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BLOG・神社仏閣を訪ねて

木鼻の獏。

2018年6月30日 投稿

下の三枚のの写真は、それぞれ神社の建物の柱につく木鼻と呼ばれる装飾彫刻です。いずれも江戸中期1600年代後半から1700年代に創られたものといわれています。1608年の木割書「匠名」の奥書に大工は、「五意達者」であるべきだと記してあります。五意とは、①木割り ②木割り値と墨付けの計算、積算 ③実地の工作 ④彫刻の下絵図の作成 ⑤彫刻の実技 すなわちこの時代の大工は、設計、積算、施工から彫刻の下絵、製作まで行っていたということです。

ところで下の写真の木鼻の獏ですがとても良く似ている感じがします。一番上の写真は、妻沼聖天山歓喜院の木鼻の獏ですが歓喜院の大工棟梁は、地元の林兵庫正清、正信親子です。正清は、上記に記した匠名を残した家柄で江戸幕府作事方大棟梁平内応勝の二男で林家に婿入りした人物といわれています。真ん中の写真は、高崎にある八幡八幡宮にある木鼻の獏ですが宮司さんに直接お伺いしたところ作者は不明ながら歓喜院と同じ工匠が建立に関わったという学者さんもいるということです。

一番下の写真ですが弊社地元の惣鎮守美女木八幡社本殿の木鼻の獏ですが上の2つの獏に作風が似ている感じがします。あくまでも私の主観です。地元の惣鎮守の神社が国宝や県指定文化財のそれと似ている感じがしてしまうのは、やはり贔屓目に見てしまうからでしょうか?

ともあれ江戸時代の建築や先人の工匠の技術に思いを馳せることは、現代の建築にもつながりるとても良い勉強になります。

↑熊谷市にある妻沼聖天山歓喜院本殿のある木鼻の獏(国宝)

↑高崎市にある八幡八幡社幣殿にある木鼻の獏(群馬県指定文化財)

↑美女木八幡社本殿の木鼻の獏